はじめに
誰にでもできる「こころが元気になる」4つのことの1つ目、「感謝して喜ぶこと。ありがたさを意識する」です。人生の中で出会ったものごと・できごとを「いつも感謝を持ってとらえるようにする」と決めることです。
しかし、私にとってこれは昔からできていないことの1つです。私のような方は案外多いのではないでしょうか。なんで私はできないんだろうと昔から考えていろいろと工夫をしてきたのですが、ちょっと一緒に考えてみてください。
どんなときに「ありがとう」という言葉が自然にでますか?
私たちが誰かに「ありがとうございました」と自然に言葉が出るときやありがたいと自然に感じるときはどんなときでしょうか?それは子供でも大人でも、人から何かをいただいた時、何かをしてもらった時です。飴玉をもらった、手伝ってくれた、教えてくれた、チャンスを与えてくれたなどです。
「与えられるという変化」があるときは別に頑張って意識しなくてもありがとうという気持ちが自然と生じるのが人間です。
では、変化がない時はどうでしょうか?
たとえば空気があることをありがたいと感じるのは、空気が普通にあるなかで暮らしているときには難しいですよね。
あるのが当たり前で変化がなければ日々大変助けられていても「ありがたい」と感じにくいということです。鼻や口や肺がちゃんと機能していて息ができていること、毎日食事を作ってくれる人がいること、水洗トイレにちゃんと水が流れて使えていること、など当たり前のことですが大変助けられていることはたくさんあります。
日々当たり前のことで大きな変化のないことでも、失ってみますと大切であったということに簡単に気づくことができます。例えば空気がないか少ない状況に追いやられると、空気の大切さはきっとわかります。Bump of Chickenの「Supernova」という曲の歌詞にでてきます「鼻が詰まったりするとわかるんだ 今まで呼吸をしていたこと」というフレーズ私は大好きです。でも失ってからそれまでのありがたさに気づくというのでは、ちょっと残念ですよね。そこで、日々の生活の中で、「もし〇〇でなかったら(今の当たり前がないんだ)」と先に考えることを生活の中に取り入れるように私はしています。
トイレの水が流れなかったらどうなるんだろうとちょっと考えることで日々トイレの水が流れることに感謝できます。父母、祖父母、曾祖父の誰か一人でもいなかったら今の私は生まれていなかったのかとちょっと考えることで、自分がこの世に生まれてきたことをご先祖さんに感謝できます。父母が赤子の時から育ててくれていなかったらと考えることで親と仲たがいしていても感謝の気持ちがわいてきます。医療費の7割を誰かが払ってくれる支援がなかったら大変だということを考えると社会の公助のシステムやそれを支えている人に感謝の気持ちがでてきます。
当たり前となって何も変化のない中でも、たくさん与えられて助けられていることを意識することができる「しくみ」をつくっておくと、飴玉をもらったり、手伝ってもらったりした時と同じように自然と「ありがとう」の気持ちがわいてきます。
「もし○○がなかったら今の当たり前はどうなるのチェック」の習慣が日々の生活の中での感謝の気持ちを増やしてくれます。
では、嫌なこと・つらいことがあったときはどうでしょうか?
10年ほど前ですが、息子と二人でお墓参りに行くために高速道路を車で走っていた際に覆面パトカーにサイレンを鳴らされて止められました。速度違反です。時間もお金もとられるのでふつうは「なんでやねん」となる嫌な出来事ですが、本当はそうではありません。速度違反で捕まっていなかったら、数キロ先で交通事故を起こして大けがをしているはずだったところを助けてくれたと考えるのです。そう思いながらパトカーの後部座席で調書を取られていると、前の座席の警察官二人がお墓にいる祖父と祖母に見えてきました。最後は思わず「ありがとうございました」の言葉が出てきます。
「人生で遭遇するすべてのことに前向きな意味がある」と考えるのが私の信条のひとつです。つらいことがあった際にそれにはこんな前向きな意味があるとその瞬間把握することは必ずしもできるわけではありません。速度違反で捕まった際の前向きな意味は、分かりやすく見出しやすい簡単な事例です。しかし、嫌なことやつらいことの真っ最中にその前向きな意味を見出せないことは多々あります。しかしこんな場合でも何年も経ってからこういう意味だったのかと分かってきます。あのときつらかった出来事のおかげでその後よいことにつながっていることに気づいたことは年配の方は誰しも経験があるのではないでしょうか。若い方はこれから経験することがあるでしょう。私は高校生の時に「特発性気胸」で何度か不安な状況を経験しましたが、その時の経験は今医師として病気に遭遇した患者さんが不安な気持ちになることを実体験のように理解することにとても役立っています。30年ほど前に知人から詩人坂村真民の「幸せの帽子」という詩のコピーをいただき、大変感銘し額にいれていつも見えるところに置いています。この詩は、幸せというものは不幸の形でくることがあるのですよ、不幸なことにいくつも遭遇してきたけれどそれが幸せにつながることであったとうたっています。そのとおりだ!と心の真ん中に突き刺さった詩の一つです。つらいことにあった際に、その時その前向きな意味が見抜けないことはよくあります。しかし、とっさに前向きな意味を考えることを毎回していますと簡単に見抜けることも多々あります。それが見抜けると自然と「ありがたい」ことと感謝の気持ちがわいてきます。「人生で遭遇するすべてのことに前向きな意味がある」という、「認識の仕方のルール」はとても人生を豊かにしてくれます。
その時に前向きな意味が見出せないときは、根拠もなく信じるようにしています。前向きな意味があるつらいことだと信じるのです。そうするとつらいことへも感謝の気持ちがわいてきて、とても前向きな心になります。理屈や根拠はいりません。「認識のルール」です。「赤信号で止まれ」というルールと同じです。ぜひルールを守ってみてはいかがでしょうか。
まとめ
① 人生の中で出会ったできごと・ものごとに「感謝して喜ぶ、ありがたさを意識する」と、とらえ方を決める。
② 「もし○○がなかったら今の当たり前はどうなるのチェック」を生活のなかに仕組む。
③ 「人生で遭遇するすべてのことに前向きな意味がある」という、「認識の仕方のルール」をもつ。
まず①の人生の中で出会ったものごと・できごとを「いつも感謝を持ってとらえるようにする」と決め、そして②と③の仕組みを生活のなかに組み入れますと、こころは元気になってきます。
次回は、「②過去のこと、まだわからない未来のことを今に持ち込まないで切り捨てる」についてです。