018 氷山から学ぶこころの整え方、元気の芽です

「氷山の一角」はどの方も一度は使った事がある言葉かと思います。物事のごく一部分だけが外に現れて見えている状況、見えていないところがいっぱいあるよという意味です。この言葉にあるように、氷山は見えている部分が全体の1/10ほどです。つまり海面にそびえ立つ氷の動きは、海面下の9倍もの氷の動きに影響を受けています。

それと同じようなことがみられるのが、人間の考え方です。

私達の考えは、頭をこらしていろいろ考えた結果のものではなく、ほとんどが習慣やくせのように自動的に考えています。この部分は私達には見えていない氷山の海面下の氷のようなものです。

この習慣的・自動的な考えは、よいもの、わるいもの、よくもわるくもないもの、の3つに大別できます。

わるい考えの癖・習慣の例として、すべてを悪い方に考えることや、人の悪い面だけをみて良い面はまったく考えにのぼらないというようなものがあります。

よい考えの癖・習慣の例としては、この逆ですべてを良い方に捉えたり、人のよい面だけをみて悪い面が全く目に入らないというのがあります。

じっくり落ち着いて考えれば、自分自身も含めて人はいい面も悪い面もどちらも持っています。しかし瞬間的に生じる考えはそうではなく、ひとによりわるい面に偏っていたり、よい面に偏っていたりします。氷山の動きが海面下の大きな氷の塊の影響を受けているように、人の考えは意識の下の習慣や癖の影響を強く受けています。

元気の芽を育てるにはここにチャンスがあります。

わるい考えが生じる自分の癖や習慣を日頃から探して見つけておき、それが出てきたら気づくようにします。そして、瞬間的にでてきたわるい考えによいことばを被せてしまうのです。

たとえばすべてをわるい方に考えることが習慣、癖だと気づいた方は、どんなときも、ワクワクするなあ、ありがたいなあ、などの言葉を被せてしまいます。ウソでも構いませんのでよい言葉を被せます。

人のわるい面ばかりをみる癖や習慣のあることに気づいた方は、すべての人を心のなかで褒めてみる練習を日頃からしておきます。そして褒める言葉を被せてしまいます。

しかしわるい考えが自動的に生じる習慣が出てしまったことを意識できるかどうかが難しくこれが勝負の分かれ目です。

私は私のわるい考えをもたらすわるい習慣を海面下の黒ずんだ氷の塊とイメージしています。こうすることで自分をすこし離れてみることができ、一瞬の時間をかせげて「これはいかん」と思ってよい言葉を被せる余裕ができます。

何度もこれを繰り返すことで、黒ずんだ氷の塊を桜色にかえてゆく努力をしています。

習慣的に生じている自分の考えの中で、黒ずんだものに操られないようにすることが明るく元気でいるコツです。

氷山から学び、10年後20年後も要介護にならないことを目指してみてはいかがでしょうか?