「楽訓」は江戸時代の儒学者で医学を含む多数の分野に多くの著作を残した貝原益軒(かいばらえきけん)先生により約300年前に書かれた書物です。楽しいこころもちになる具体的方法が学べます。
答えから説明しますと、「楽しいこころもち」になることを抑え込んでしまっていることを排除することです。
なにか楽しいことをしようとか、興味のあることをみつけようとか、求めるのではないのです。
人は生まれながら、楽しいこころもちなんです。草木が自然に生えるように、人のこころには楽しいこころもちがわいてきて止まることはないのです。
赤ちゃんをみているとよくわかります。とくにこちらから笑顔で話しかけたわけでもないのに、自らいつも可愛らしく笑っています。はじめから楽しくて仕方がないのです。
同じように、電車のなかでケラケラと楽しそうに笑っている10代の学生も箸が転んでも楽しいという状況です。
これが人の基本形で、草木が自然に生えるように、人のこころには楽しいこころもちがわいてきて決して止まることはないのです。
でも、赤ちゃんもお腹が空いたときや、おむつが汚れて気持ち悪いときは泣いて知らせてくれます。
10代の学生も試験や競争、人間関係などで、箸が転んでも楽しいという状況ではなくなることがあります。
つまり生まれながらにして自然とわいてくる「楽しいこころもち」になることを抑え込んでいる何かを見つけ出して排除すること、これが楽しいこころもちになる確実な方法です。貝原先生が教えてくれている発想の転換です。
では、どんなことが「楽しいこころもち」を抑え込んでいるかも学んでおきましょう。それも貝原先生が教えてくれています。
もっとも強いのは「私欲」です。人の心でも、物でも、お金でも、私が独り占めしよう、私が少しでもたくさん、と欲がでた瞬間に楽しいこころもちは消えてゆくということです。
2番目以下には順番はありませんが、「礼がないこと」「人の愚かなところを怒ること」「ものごとをよく理解していないこと」「ひとをうらやむこと」「あせったり、あわてたり、いらいらしていること」で楽しいこころもちが消えてゆきます。
いつもこの逆をしておけば、草木が自然に生えるように、自分のこころには楽しいこころもちがわいてきて決して止まることはありません。
いろいろな人に与える(物でも愛情でも機会でもお金でも微笑みでも座席でも与えられるものはなんでも)、いつも人に対して敬意をもつ、他の人の愚かな点や過ちをみていちいち怒らない(自分も人から限りなく許してもらっています)、ものごとを広い視野・高い視座で理解できるように学んでおく、他人をうらやまず今自分にあるものを大切にする、ゆったりとした気持ちでいるようにする(深呼吸や腹式呼吸などが役立ちます)、ことです。
楽訓から学び、いつも楽しいこころもちでいることは10年後20年後も要介護にならないために役立ちます。