【18】「歩き方もちょっと考えてみましょう – 歩くことを楽しみにしてしまう仕組み -」

はじめに

人はそれぞれ、年齢も生活パターンも身体機能も歩く際の癖も歩く量もさまざまで、どの方にも当てはまる「このように歩きましょうの見本」はありません。しかし年齢とともに身体機能が落ちてゆく中での考え方の基本はあり、それは「安全第一」と「歩くことを楽しみにしてしまう仕組み」です。今回は、「歩くことを楽しみにしてしまう仕組み」のお話です。
私が行っている、二つの方法を紹介します。
① 自然の生き物や風景に意識を向ける
② 進歩する道具を利用する

「えっ?どうしてそれが楽しみにつながるの?」と思われたのではないでしょうか。
そう思われた方は、ぜひ以下をお読みください。

こころや気持ちに余裕があるときの散歩は周りの景色が目に入り楽しくなる

みなさん、「楽しいな」「気持ちいいな」と思いながら歩いた経験はあるのではないでしょうか?おそらくそれは、歩く際に、特価商品が売り切れないように早めにスーパーマーケットに向かう、あるいは約束の時間に遅れないように家をでる、など行き先と時間が決まっている「移動」が目的に歩いていた時ではなく、時間やこころに余裕があって歩いているときではなかったでしょうか。旅行先での朝の散歩のときなど景色を楽しみながら歩いた、道端に咲く花を摘んだ、写真に撮ったなどの経験はありませんか?

そうなんです、こころや気持ちに余裕があるときの散歩は楽しいと感じやすいのです。

そして周りの景色をみることも季節のうつろいに気づくこともできます。周りの景色には、雪間に咲く花や、つぼみが開き始めた梅の花、空き地に伸びる雑草、季節ごとに赴きの変わる木や、川面で日向ぼっこをする亀、高い空を渡る鳥、低く駆け回っている小鳥、雲ひとつない青空や、様々な形に姿を変える雲、雲に隠れる月や、雨水が集まって流れる水のすじや、雨の音、風の音、近代的大邸宅、古い屋敷、壊れかけの空き家、捨てられた空き缶、などいろいろなものに気づくことができます。

それらの中で、目に入った周りの景色から少し元気をいただいたり、あるいは心が安らぐことはありませんか。それはどんな時かを考えてみますと、多くの方に共通するのが生きているもの(木や花や亀や鳥など)と自然のもの(空や月や雲や水の流れなど)です。もちろん趣味や好みによっては他にも元気をいただくことがあります。建築に興味のある方は空き家や大邸宅を見つけてワクワクしするかもしれませんし、子供好きの方なら小さな子が楽しそうに遊んでいる姿を見てこころがほぐれることもあるかもしれませんが、万人に共通するというわけではありません。

こころや気持ちに余裕がないときにこそ、自然の生き物や風景に意識を向けます

時間やこころにゆとりがある、すると周りのさまざまな景色が目に入る、すると目にふれた風景から元気をいただく、という流れです。大切な点は、こころにゆとりがあるので元気をいただくのではないという点です。
時間やこころにゆとりがないときに、偶然目にふれた自然の生き物や風景から元気をいただいた経験は誰しもあるのではないでしょうか。
私はこれを利用する仕組みを生活に取り入れています。とくに歩く際に取り入れています。時間やこころにゆとりがあるから周りの景色を見るのではなく、時間やこころにゆとりがない時にこそ、自然の生き物や風景に意識を向けて、そこから力をいただくのです。

私は雲や青空や道端の草木花からよく元気をいただいています。大きな木に出会えば、見るだけでなく木の幹に手をあてて木の気をいただいています。足腰が悪くなって散歩もめんどうと感じるときは、雲や青空や道端の草木花から元気をいただきにゆくと考えるのも一つの方法です。これが歩くことを楽しみにしてしまう仕組みの一つ目です。

「養生訓」で有名な江戸時代の儒学者貝原益軒(かいばらえきけん)先生は「楽訓」に、老いては時間がいよいよ大切ですので時刻を惜しんで楽しむことが大切であり、その一つの方法として草木などをみて楽しむことを挙げています。人間も自然の中で何百万年も進化してきた生き物ですので、自然のなかの生き物や風景はこころの栄養として大切と私は考えています。益軒先生は「外物の養いをかりて内の楽しみを助ける」という説明をしています。

赤ちゃんはどうして歩こうと頑張ったのでしょうか

ご自身がハイハイしていた乳児のころは何を考えて立ち上がろうとしたり歩こうとしたりしていたのでしょうか。
よちよち歩きをして何度も何度も転んでも、立って歩こうと繰り返し続けて歩けるようになったのです。
これは母親が指導したので赤ちゃんが歩こうと頑張ったのではなく、歩けるようになることが楽しいと感じる本能によるものです。ヒトは歩くことだけではなく何かできるようになることや、自分の身体をコントロールできることを楽しいと感じるようです。赤ちゃんは何かできるようになった際に満面の笑みを浮かべることがあります。そのあと母親が手をたたいて喜んだりほめたたえたりしますが、それを目的にしているのではなく、何かができるようになることが楽しいと本能が感じているのです。

元気だった青年期や壮年期と比べるのではなく、赤ん坊に戻った思考に切り替える

赤ん坊とは逆に、老いて何かができなくなっていくことを、楽しいと感じる人はいないと思います。受け入れていくしかありません。その際に、赤ちゃんに戻った感じで、何かできるようになることや、自分の身体をコントロールできることに楽しみを感じる仕組みを考えます。「歩くことを楽しみにしてしまう仕組み」の二つ目は、身体機能が衰えてゆく中で、元気だった青年期や壮年期と比べるのではなく、一気に赤ん坊に戻った思考に切り替えることです。青年期や壮年期と比べると、「昔はこんなこともあんなこともできたのに今は。。。」と嘆き節になりますが、赤ん坊に戻ったつもりで、できるようになる楽しみを感じる仕組みを作ります。

進歩する道具を使う

ただし身体機能は落ちてゆきますので、生物のなかでも人間の得意技であります「道具」を利用します。歩きやすい靴、歩きやすくなる杖、ノルディックポール、手押し車、歩行器、手すり、などをそれぞれの身体機能のレベルに合わせてタイミングよく利用して少しでも歩きやすくし、楽しみを感じるようにするのです。さらに万歩計で歩数をみて、少しの改善でも見えるようにして、楽しみを損なうことのないようにするのです。いよいよ身体機能が衰えれば、科学技術進歩とともに今後普及してくる歩行補助のロボットスーツや電動車いすなどの道具をタイミングよく取り入れて、身体機能が衰えてゆく中でも何かできるようになる楽しみを感じるようにします。

たとえば私の身体機能は早く走ったり長距離を走ったりはできませんが、元気に歩くことはできるレベルです。使う道具は「よいウォーキングシューズ」の段階です。
1年ほど前にとてもフィットした歩きやすい靴を履いている患者さんから、河内長野市の「笑足」という靴の専門のお店で合わせてらったことを教えていただき、私も「笑足」に通うようになりました。すでに3足合わせてもらっていますが、そこで紹介されて初めて知ったのが、靴の底がローリング形状(舟底のようになっている)のSTRETCH WALKERのXsenscibleというタイプの靴で、長距離の歩行がとても快適になり歩くことが大変楽しくなりました。新しい道具(靴)との出会いです。

歩数を少し増やす目標を立てただけでなく、歩行姿勢の改善という目標もできました。へそから前に進むような歩行イメージです。切り忘れたへその緒を誰かに引っ張ってもらっているような自分の姿を脳裏に描いています。疲れて姿勢が悪くなってきたと気づいた際には、「誰かへその緒を引っ張って!」と思うと、母親やいろんな方が脳裏に現れて引っ張ってくれるように思えよい歩行姿勢に戻ります。

70歳、80歳になり身体機能が衰えてきた際には早めにノルディックポールを利用して少し歩きやすくし、覚えてはいませんが赤ん坊の時の楽しみを感じたいと考えています。

「歩くことを楽しみにしてしまう仕組み」の二つ目は、進歩するいろいろな道具を利用して衰えてゆく身体機能を補助して身体機能が低下する中でも歩きやすくなることを楽しむ、歩数がちょっとでも増えたことがわかるようにして楽しむ、ということです。

まとめ

「歩くことを楽しみにしてしまう仕組み」として、①自然の生き物や風景に意識を向ける ②進歩する道具を利用する、をぜひ試してみてください。
次回は、また栄養のお話にもどって、「成熟する社会、栄養はとりやすくなっている」です。